日本のアイドル文化の礎を築いた音楽プロデューサーの酒井政利(さかい・まさとし)さんが16日午後7時5分、心不全のため都内の病院で死去した。85歳だった。手掛けたアーティストは引退した山口百恵さん、南沙織さん、郷ひろみら350人以上。5月に知人らに元気な姿を見せたが、月末になってアレルギー反応が出たため、検査を兼ねて治療入院していた。葬儀・告別式は、すでに近親者のみで執り行った。
昭和の歌謡界を支えた名プロデューサーが安らかに旅立った。
所属事務所によると、酒井さんは5月下旬にアレルギー反応が出たため、検査と治療を兼ねて入院。5月9日には音楽関係者の葬儀に参列。友人らと昼食をとるなど元気な姿を見せていたが、事務所関係者は「食欲も減退していたので、1、2か月かけてゆっくりと治療しようということになりました」と語った。
その後は順調に回復し、7月からリハビリをスタート。自らが楽曲タイトルを提案した歌手のレコーディングが22日に予定されていたため、そこに立ち会うことを目標にしていたが、16日になって容体が急変。関係者に見守られる中、息を引き取った。突然の別れに、関係者は「静かに、苦しまずに逝きました。本の出版の話や校歌の依頼の話もあったんです」と惜しんだ。
酒井さんは立大卒業後、映画プロデューサーを志して松竹に入社したが、すぐに退社。その後、日本コロムビアに入社し、青山和子の「愛と死をみつめて」が64年の日本レコード大賞を受賞した。68年にCBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)に移籍。米国旅行でフランク・シナトラに使われたのが始まりという「アイドル」という言葉を知り、「いつか日本でアイドルを作りたい」と一念発起し、“アイドル路線”第1号として南沙織さんを手掛け、デビュー曲「17才」は54・2万枚の大ヒット。アイドル時代の華々しい幕開けを演出した。
日本テレビ系「スター誕生!」から芸能界入りした百恵さんとは、73年のデビューから80年の引退まで二人三脚で歩んだ。刺激的な歌詞を取り入れた2作目の「青い果実」で人気に火が付くと、「プレイバックPart2」「秋桜」「いい日旅立ち」などが大ヒット。百恵さんを時代の寵児(ちょうじ)に押し上げた。
男性アイドルのトップに立ったのは郷。中性的な魅力を引き出したデビュー曲「男の子女の子」で注目を集めると、「よろしく哀愁」「お嫁サンバ」「2億4千万の瞳」などで大人のエンターテイナーへと成長。アイドル以外でも手腕を発揮し、ジュディ・オング「魅せられて」は123・5万枚を記録。矢沢永吉、宮沢りえも手掛け、プロデュースした楽曲の売り上げ累計は約8700億円とも言われる。2005年に音楽業界初の文化庁長官表彰を受け、昨年文化功労者に選ばれた。
◆酒井 政利(さかい・まさとし)1935年11月17日、和歌山県生まれ。立大卒業後の61年に日本コロムビアに入社。日本レコード大賞を受賞した青山和子「愛と死をみつめて」などを手掛け、68年にCBS・ソニーに移籍。南沙織さん、フォーリーブス、山口百恵さん、郷ひろみ、松田聖子らをプロデュース。96年に独立。2019年に和歌山県文化功労賞を受賞、20年に文化功労者に選ばれた。
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