「日本社会の構造論」に踏み込んだ物語
――『あのこは貴族』が雑誌『小説すばる』(集英社)で連載中のころから、映画化を希望していたそうですね。 岨手由貴子監督(以下、岨手) :山内マリコ先生の作品は、ずっと読んでいました。プロデューサー陣と次の企画について話していた頃、ちょうど連載されていたんです。 私自身、長野で生まれ、上京したので、同じ地方出身の美紀のストーリーにシンパシーを覚えました。かつ、富裕層の名家に生まれた人たちを取材しないと分からないようなところまで書かれている点が、すごく面白かった。 物語は、東京の上流階級の家庭に生まれたお嬢様の婚活の話に始まり、最終的に日本の構造論に踏み込んでいきます。日本社会が女性の人生を搾取する家父長制になっていることを訴え、政権への批判も込められている。これはより広く伝わるべきテーマだと感じ、プロデューサー陣に映画化を提案しました。 ――富裕層の華子と庶民の美紀は全く別の世界で生きていますが、出会うことになります。二人をつないだのは、もっと上の階級で、政治家も輩出している青木家の長男・幸一郎(高良健吾)。物語の根底にある「日本社会の構造論」とは、どのようなものでしょうか。 岨手 :特権階級のような世襲議員が、自分たちにとって都合がいいように世の中のルールを決めている。下の階層の人たちは、そのルールに合わせて生きている。それに加えて、性差によるギャップもあると思います。古くから日本には家父長制があって、男性には「男らしく」とマッチョであることが求められ、女性は家庭を守って男性をサポートするのが理想の姿と考えられてきました。これらは当然古い考えだと感じるかもしれませんが、いまも存在している価値観です。我慢させられてきた上の世代の女性の中には、「自分たちが我慢してきたんだから、若い世代にも同じように我慢するべきだ」と考えている人もいて、女性同士が必ずしも互助関係にあるわけではありません。 また、男性が皆いい思いをしている、というわけでもないように思います。「男らしくいることを強いられるストレス」というのが、男性側にもある。それを表しているのが、幸一郎です。彼は政治家である伯父から「強い雄であること」を求められていますが、本来そういうタイプの人間ではありません。だから自分に似ているはずの“強い雄”でいられなかった父親を嫌い、無理をして伯父のあとを継ぐのです。 これらは「男性が回している社会」という構造自体が招いた悲劇だと思っています。女性が被害者で男性が加害者という意味ではなく、男女ともに息苦しく感じてしまうのだ、と。 ――幸一郎が求められている「マッチョな男性像」について、もう少し詳しく教えてください。 岨手 :幸一郎のキャラクターは、マチズモを体現した上流階級の男性の典型です。先祖代々受け継がれた名家、特権的な階層に生まれた男性というのは、学生時代にどんなに女性と遊ぼうと、結婚相手にするタイプは決まっている。自分がしてきた恋愛とは別のところで、“奥さん候補”を家族総出で探します。 映画をつくるにあたり、その階層の方々に取材させてもらったのですが、「いわゆる一般的な結婚への考え方とは全然違う」と、みなさん口をそろえておっしゃっていました。
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