2010年以降の将棋界について、AIの進化との関わりを避けて語ることはできない。
山崎隆之八段は自らの棋風、将棋観、あるいは人生観から、AIに依拠する風潮への違和感をこれまでずっと語ってきた。
15年にはタイトル戦になる前の叡王戦で棋士代表の座まで登り詰め、最強ソフトとの決戦に臨み、敗れた苦い経験もしている。
「最初は抵抗があったことは間違いないですね。まず、ソフトを使える人と使えない人がいて、棋士によって環境が違うことはおかしいのでは、という思いがありました。将棋界の持つ良い部分のひとつは、新四段として新入社員のように入ってきても、例えば永世名人の資格を持つ社長のような存在の棋士とも対等に勝負できることです。他の世界にない大切な前提が崩れたように思えて、怒りを感じていた部分はありました。だから『あの人はソフトを駆使してすごく勝っている』と聞いても、すごいなんて思わなかったし、全く敬意も持ちませんでした。
でも、食わず嫌いだったAIにも最近は少し接するようになって、今までソフト研究を進めてきた人も価値観を劇的に狂わされたり、試行錯誤しながら採り入れてきたんだな、ということが分かって考え方はちょっと変わりました。
今でもパソコンのスペック差が勝負が影響することについてとかは問題があるんじゃないかなと感じながらも、昔よりは受け入れています。避けては通れない気持ちもありますけど、もっと(AIによる指し手が)体系化されてきて、戦う上で自分という存在を失いながらも勝負に挑まなくてはならなくなることを想像すると怖いな、とは思います。
僕は人間が試行錯誤していること、足掻いていることが好きなんです。分からないから足掻く。暗闇の中で模索するのが好きなんですよ。お互いに局面が分からなくなって、手探りで足掻いて藻掻いていくのが好きだということは、昔からずっと変わらないです。足掻くためには力を衰えさせてはいけなくて、感覚や読みの力も増していかないと足掻くことすらできません。知識ではなく力を強くできるかどうかなんです。
本質的な部分で言えば、僕は『正解』を求めてはいません。正解が多くなって、正解の精度があまりにも上がってしまうと、僕はどうやって棋士として生きていけばいいのか分からないです。正解を見つけるより、正解を隠す方に惹かれます。道が出来た将棋ならば、道を暗闇に落とし込んでしまいたい。地図があるならば、地図上のデータを無くしてしまった中で勝負したいんです。
もちろん強ければ強いこと自体が、勝っていれば勝つこと自体が正解にもなる。そのような領域で生きていける棋士たちはいいです。すごく価値のあることなので。でも、そんなふうに生きていける人は本当に一握りです。自分が入っていければいちばんいいんでしょうけど、自分がいられるイメージは正直ないです。努力はしなくちゃいけないとは思いますけど。
力を持って、足掻いて足掻いて、ようやく失敗できる。負けるなら戦って負けたいです。前向きなのか後ろ向きか分からないけど。
情けないですけど、僕は男らしくもなれないし、大人しく従うことも最後までできない。中途半端なんですけど、自分の天の邪鬼な性質なのでしょうがないな、とちょっと諦めてる部分もあります。いちばん怖いのは戦いにすらならず、足掻くこともできないことです。
今は昔と違って、極端に理解力のある人が強くなる時代になりました。昔は強くなる理屈や、正解の理屈にみんな確信が持てなかった。今は正解を勤勉に学ぶ秀才タイプの棋士が強くなります。勤勉な人が増えれば、さらに体系化は進みます。最先端の戦いの中で、自分の土俵まで誘導する難易度は高くなっています。
そんな中でも力を付けて、足掻き続けられるかどうかが40歳になる身としてのシンプルな課題であり壁です。自分の気質かどうかは分かりませんけど、いつだって棋士は自分本位で、昔は周りの棋士のことは気にならなかったいうか、正直に言うとあまり興味がなかったんです。今は、自分が足掻かなきゃいけない立場だから、足掻いて結果を残す棋士に目線が向かうようになりました。木村(一基九段)さん、久保(利明九段)さん、深浦(康市九段)さん、永瀬(拓矢王座)さんも。自分も言い訳しないように戦うしかないですよね。
棋士の本質は勝負することなので『もう勝てない』と思うことは絶対につらいです。スポーツ選手と違って、将棋指しはすぐに引退までしなくてもいいですけど、もう勝てないと思った場所に居続けなくてはならないつらさがあると思う。勝てなくなったことをどこかで自分自身で認めながら、元気であるうちは否定し続けなくちゃいけない。
若い頃、先輩に言われた『好きなことやって生きている将棋指しって、こんなに楽しい世界はないよ。でも、負けるとこんなにつらい世界もない』っていう言葉が心に残っています。負けることより本当につらいのは『もう自分はこの人には勝てない』と思うようになることです。
自分が心から『もう勝てない』と思った後で、普及でも指導でも一生懸命に生きることも選択肢だと思いますけど、僕は将棋を指す棋士として生きていきたい。勝てないと思って指すのはあまりにつらいので、これからも足掻いていくしかないのかなと思います。結果として負けたとしても、足掻いた上でなら救いはあります。
将棋界には『代わりの利かない人』がいます。圧倒的な強さを持つトップ棋士、教室で指導する人、将棋の魅力を発信する人。将棋連盟という組織に関係なく、将棋を自力で伝えていける人こそが本当に必要な人材だと思うんです。
僕自身は『代わりのいる人』なんですね。将棋連盟がなければ、将棋で生きていくことはできない。今の状況になって、将棋を指すことで生きていけることは本当に有難いことだと思います。
コロナ禍になって完全に引き籠もりました。でも、沈んでいる自分の気持ちは対局日に将棋会館まで行って将棋を指すことで助けられました。僕はいまだに将棋におんぶに抱っこで生きているんだ、ということを知りました」 (北野 新太)=続く=
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